仮説は疑うこと

ここ数日新しいことを考えていました。
そこで、やはり仮説でしかない場合は疑うべきだと感じましたので、そのことについて具体例を元にお伝えしようと思います。

隠す必要もないのでお伝えすると、最近空き巣のニュースをよく目にしていたので、
こんな監視カメラシステムを作れる月刊雑誌はどうかなぁと考えていたのです。

「防犯会社と契約すれば。」と言う方もいると思いますが、
窓1つかドア1つで月●●円という契約なので、
自宅の窓なんて複数ありますし、実際そこまでする人は少ないのではないかと思ったのです。

つらつらと語ってもしかたないので詳細は割愛しますが、
このように新しいことを考えるときは仮説ベースで考えるはずです。

最初の方法としてはこれが多いと思いますが、
この仮説は正しいのかという検証が必要です。

・本当に困っている問題なのか?
・誰が困っているのか?
・他の方法じゃダメなのか?

「~だと思った」「~だと考えた」は仮説です。

上の例の中では、下の2点が仮説ですね。
・監視カメラシステムを作れる月刊雑誌は売れるのではないか
・防犯会社との契約ではダメ

自分の考えが否定されるのは辛いと考える方もいるかもしれませんが、そういう方は現実を見ずに突き進み、多くの時間を無駄にしてしまうため、かえって損をします。

目的地まで地図やコンパスを見ずに進むようなものだからです。地図やコンパスは見るべきものですよね。

というわけなので、仮説でしかない場合は常に疑ってかかるべきです。

仮説が間違っていればそのアイデアは捨てるか、正しい仮説を探しましょう。

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